関わるのは行政の人と、私だけでした。
火葬を済ませた数日後、行政の方の手配と孤独なかたの最期のご葬儀をいつも、お布施の類は一切受け取らずにご葬儀を出してくれる心ある和尚様の御導きで、晴れてお送りすることが出来ました。
必要な葬儀道具を用意し、花瓶用の立派なお花を一対供え、立派な本堂で、一般のかたと何も変わらない形で葬儀が執り行われました。
いつもと違うのは、単なる一葬儀業者である私が、弔問の会葬者として席に座っていること。隣には行政の担当者と、計二名だけが会葬席に座って行いました。
開式に先立って和尚様が、お話しされました。
「私も亡くなった故人を知らない、ここにいる担当者さんも、葬儀社の佐香さんも、この故人を知らない。だけれどもこの天涯孤独で死んでいったこの人が、まったく誰一人参集されることもなく葬られるならば、こんな寂しいことはないと思う。一人の人間の最期としてそんなことはあるべきではないと思う。それでも今日ここに、なんの関わりもなかったお二人が座られてご焼香して手をあわせてくれることで、もし亡くなった本人がここに出てくるならば、ありがとう!ありがとう!と感謝することでありましょう。そのように思いながら、ではご葬儀を始めたいと思います」
とおっしゃって、静かに厳かに、式を始められました。
このような葬儀が年に数回ありますが、最初にこのようなお話を聴くとなにか少し心が温かくなります。きっかけは仕事であれ、人として、見知らぬ誰かの生涯の最後の式に関われたと思うと、売った買った儲けた、だけの世界ではない、人としてのつとめを、僅かながらも果たせたかな、という気がして、むしろこちらが救われたような気持になります。
この気持ちを保ち続けられるなら、これからもきっと持続できるに違いない、と希望も湧いてくるのでした。
宮古・釜石・家族葬のさこうセレモニー
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